2010.07.28 Wednesday
マヤ暦の新年
今回のテーマは「マヤの新年」について、少し説明してみようと思います。
世界中で暦は「太陽」と「月」とを使って作成されているものがたくさんありますね。
中国暦、古代インド暦、古代バビロニア暦やエジプトの暦などは「月」を基準とした太陰暦だったようです。
太陽暦(たいようれき)とは、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作成された暦で、太陰暦(たいいんれき)とは、月の満ち欠けの周期を1ヶ月として計算された暦です。
古代マヤでは「太陽」を1キン(1日)としてた「ハアブ暦」と呼ばれています。
その始まりは「0ポップ」という名前の日から始まります。
現在わたしたちが日常使っているカレンダーは「グレゴリオ暦」と呼ばれ、365日の太陽周期を調整するため4年に一度「閏年」をつくって、暦を太陽の動きに合わせています。
しかしマヤの太陽カレンダーは少し違います。
月にあたる1ヶ月は、20日間あります。「0・ポップ」から始まって、「19・ポップ」で終わります。
たとえば私たちのカレンダーでいう1月1日という日は、マヤでは「0・ポップ」と呼ばれます。
1月2日は「1・ポップ」、3日は「2・ポップ」のように進んで、最後は「19・ポップ」で次の月となる2月1日「0・ウォ」月へとバトンタッチします。
ですので、1年は12ヶ月ではなく、18ヶ月となります。
しかし18ヶ月ですと、365日に5日足りません。
そこで、最終月「ワイエブ」月をもうけました。
1月たったの5日間です。
そして閏年もありません。
古代マヤの天文学者たちは、1年の本当の長さがおよそ365.2425日に近いものであることを、知っていましたが、ハアブ暦を太陽の暦にあわせることをしなかったそうです。
マヤの太陽暦を20×18ヶ月+5=365日 として進めていくと、当然ハアブ暦は太陽暦を越えて動いていきます。
0・ポップというマヤのハアブ暦新年は、1553年頃は7月13日の「風・10」あたりだったそうです。

ここで、もう一つマヤには太陽の暦である「ハアブ暦」とは別にマヤ暦「Cholq'ij(ツォルキン)」という暦があります。
20のデイサインが時の顔となり、13の数字と組み合わさりながら260日を1周期として巡回している神聖暦と呼ばれるものです。
マヤの人々は、儀式を行なう際や収穫の時を読むためにこの「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」を組み合わせて使っていました。
たとえば1977年1月1日という日をマヤ・カレンダーに変えてみると「9・風、5・カンキン(14月)」となります。
「9・風」という日はマヤツォルキン暦を調べると260日後にはやってきます。
「5・カンキン月」はハアブ暦365日後にはやってきます。
そして生まれた時の「9・風、5・カンキン(14月)」がやってくるのは、260と365の最小公倍数である18980となり、52年後となるのです。
余談ですが、この52年周期は「年の束」とよばれ、個人にとって「第二の誕生」「完全に成熟した証」として大切にされていました。
これは「本卦還り」という日本の還暦に近い考え方を持っているものです。
マヤの古典期では、マヤ元日はハアブ暦の「0・ポップ」だったといいます。
そしてその日の「ツォルキン」のデイサインをその1年の名前にしたのだそうです。
これを「イアーベアラー(年の担ぎ手または年の守護者)」といって、そのハアブ年に影響を与える守護者として、特定の性格を持っていると信じていました。
この年の担ぎ手となるのは、20のデイサインの4つにしか一致しないのです。
(20のデイサインを365日にあてはめていくと、毎年5ずつずれていき、4年後には20ずれるため、元に戻る。このため、0・ポップにめぐり合うツォルキンのデイサインは4つだけだとされる。)
この「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」の二つのカレンダーは、そのような古典期の慣習をうけ、「0・ポップ」の日のデイサインを年の守護者として「新年」と決定していたようです。
しかしそこにも諸説あり、古代アステカではこの4つの年の守護者を「コーン、ナイフ、夜、ウサギ」としていましたし、スペイン人に占領されたユカタンのマヤ族の時代では「水、ジャガー、嵐、トカゲ」を使っていたとも言われています。
その後現代のキチェー・マヤ族は「ティカル」や「テオティワカン」の時代に使っていた「風、シカ、道、香」の日を新年として祝うという慣習に落ち着いているようですので、私も同じようにカレンダーを作成して使用しています。
この新年は一定の法則にしたがって回っています。
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッドがある「チチェン・イッツァ」が世界遺産に登録された1988年の新年は2月28日「2・香」でした。
その後
1989年2月27日「3・風」
1990年2月27日「4・シカ」
1991年2月27日「5・道」
1992年2月27日「6・香」
1993年2月26日「7・風」
1994年2月26日「8・シカ」
1995年2月26日「9・道」
・
・
2009年2月22日「10・風」
2010年2月22日「11・シカ」
2011年2月22日「12・道」
2012年2月22日「13・香」
この年の12月でグレートサイクルが終わります。
マヤツォルキン暦の年の守護者をもって「新年」と見るか、ハアブ暦の「0・ポップ」をもって「新年」とみるか、年の守護者をアステカやティカルに合わせたデイサインとして見るか、またなぜ年の守護者がずれていったのかなどについては、様々な説がありますので、その理由ははっきりと解明されていないのが現状のようです。
私がマヤ占い研究の上でベースとしているマヤ暦の新年は、現代マヤ暦を継承しているグゥアテマラのカレンダーシャーマンが祝う2月説を「新年」として使用しています。
ちなみにですが、今年2010年の「0・ポップ」は4月3日の「シカ・12」の日でした。
どちらにしても今年は「シカ年」なのですね!^^
◇参考サイト◇
2009年 マヤ新年2月22日「風・10」
2010年 マヤ新年2月22日「シカ・11」
シカ年について
世界中で暦は「太陽」と「月」とを使って作成されているものがたくさんありますね。
中国暦、古代インド暦、古代バビロニア暦やエジプトの暦などは「月」を基準とした太陰暦だったようです。
太陽暦(たいようれき)とは、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作成された暦で、太陰暦(たいいんれき)とは、月の満ち欠けの周期を1ヶ月として計算された暦です。
古代マヤでは「太陽」を1キン(1日)としてた「ハアブ暦」と呼ばれています。
その始まりは「0ポップ」という名前の日から始まります。
現在わたしたちが日常使っているカレンダーは「グレゴリオ暦」と呼ばれ、365日の太陽周期を調整するため4年に一度「閏年」をつくって、暦を太陽の動きに合わせています。
しかしマヤの太陽カレンダーは少し違います。
月にあたる1ヶ月は、20日間あります。「0・ポップ」から始まって、「19・ポップ」で終わります。
たとえば私たちのカレンダーでいう1月1日という日は、マヤでは「0・ポップ」と呼ばれます。
1月2日は「1・ポップ」、3日は「2・ポップ」のように進んで、最後は「19・ポップ」で次の月となる2月1日「0・ウォ」月へとバトンタッチします。
ですので、1年は12ヶ月ではなく、18ヶ月となります。
しかし18ヶ月ですと、365日に5日足りません。
そこで、最終月「ワイエブ」月をもうけました。
1月たったの5日間です。
そして閏年もありません。
古代マヤの天文学者たちは、1年の本当の長さがおよそ365.2425日に近いものであることを、知っていましたが、ハアブ暦を太陽の暦にあわせることをしなかったそうです。
マヤの太陽暦を20×18ヶ月+5=365日 として進めていくと、当然ハアブ暦は太陽暦を越えて動いていきます。
0・ポップというマヤのハアブ暦新年は、1553年頃は7月13日の「風・10」あたりだったそうです。

ここで、もう一つマヤには太陽の暦である「ハアブ暦」とは別にマヤ暦「Cholq'ij(ツォルキン)」という暦があります。
20のデイサインが時の顔となり、13の数字と組み合わさりながら260日を1周期として巡回している神聖暦と呼ばれるものです。
マヤの人々は、儀式を行なう際や収穫の時を読むためにこの「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」を組み合わせて使っていました。
たとえば1977年1月1日という日をマヤ・カレンダーに変えてみると「9・風、5・カンキン(14月)」となります。
「9・風」という日はマヤツォルキン暦を調べると260日後にはやってきます。
「5・カンキン月」はハアブ暦365日後にはやってきます。
そして生まれた時の「9・風、5・カンキン(14月)」がやってくるのは、260と365の最小公倍数である18980となり、52年後となるのです。
余談ですが、この52年周期は「年の束」とよばれ、個人にとって「第二の誕生」「完全に成熟した証」として大切にされていました。
これは「本卦還り」という日本の還暦に近い考え方を持っているものです。
マヤの古典期では、マヤ元日はハアブ暦の「0・ポップ」だったといいます。
そしてその日の「ツォルキン」のデイサインをその1年の名前にしたのだそうです。
これを「イアーベアラー(年の担ぎ手または年の守護者)」といって、そのハアブ年に影響を与える守護者として、特定の性格を持っていると信じていました。
この年の担ぎ手となるのは、20のデイサインの4つにしか一致しないのです。
(20のデイサインを365日にあてはめていくと、毎年5ずつずれていき、4年後には20ずれるため、元に戻る。このため、0・ポップにめぐり合うツォルキンのデイサインは4つだけだとされる。)
この「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」の二つのカレンダーは、そのような古典期の慣習をうけ、「0・ポップ」の日のデイサインを年の守護者として「新年」と決定していたようです。
しかしそこにも諸説あり、古代アステカではこの4つの年の守護者を「コーン、ナイフ、夜、ウサギ」としていましたし、スペイン人に占領されたユカタンのマヤ族の時代では「水、ジャガー、嵐、トカゲ」を使っていたとも言われています。
その後現代のキチェー・マヤ族は「ティカル」や「テオティワカン」の時代に使っていた「風、シカ、道、香」の日を新年として祝うという慣習に落ち着いているようですので、私も同じようにカレンダーを作成して使用しています。
この新年は一定の法則にしたがって回っています。
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッドがある「チチェン・イッツァ」が世界遺産に登録された1988年の新年は2月28日「2・香」でした。
その後
1989年2月27日「3・風」
1990年2月27日「4・シカ」
1991年2月27日「5・道」
1992年2月27日「6・香」
1993年2月26日「7・風」
1994年2月26日「8・シカ」
1995年2月26日「9・道」
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2009年2月22日「10・風」
2010年2月22日「11・シカ」
2011年2月22日「12・道」
2012年2月22日「13・香」
この年の12月でグレートサイクルが終わります。
マヤツォルキン暦の年の守護者をもって「新年」と見るか、ハアブ暦の「0・ポップ」をもって「新年」とみるか、年の守護者をアステカやティカルに合わせたデイサインとして見るか、またなぜ年の守護者がずれていったのかなどについては、様々な説がありますので、その理由ははっきりと解明されていないのが現状のようです。
私がマヤ占い研究の上でベースとしているマヤ暦の新年は、現代マヤ暦を継承しているグゥアテマラのカレンダーシャーマンが祝う2月説を「新年」として使用しています。
ちなみにですが、今年2010年の「0・ポップ」は4月3日の「シカ・12」の日でした。
どちらにしても今年は「シカ年」なのですね!^^
◇参考サイト◇
2009年 マヤ新年2月22日「風・10」
2010年 マヤ新年2月22日「シカ・11」
シカ年について






























