CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< July 2010 >>
fxwill.com
CATEGORIES


ARCHIVES
RECOMMEND
古代マヤの暦 (アルケミスト双書)
古代マヤの暦 (アルケミスト双書) (JUGEMレビュー »)
ジェフ・ストレイ
マヤ暦のシステムや象徴意味など手軽に読めるポケットガイドブックです。
RECOMMEND
RECOMMEND
超不都合な科学的真実 もうからない重要な発見はすべて潰される! (5次元文庫)
超不都合な科学的真実 もうからない重要な発見はすべて潰される! (5次元文庫) (JUGEMレビュー »)
ケイ・ミズモリ
医療、科学、環境、無意識などの「隠された知」に迫る!
RECOMMEND
RECOMMEND
2012年の黙示録―ついに解読された終末予言
2012年の黙示録―ついに解読された終末予言 (JUGEMレビュー »)
なわ ふみひと
なわふみひとさんの世界。
RECOMMEND
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア) (JUGEMレビュー »)
パウロ コエーリョ
本当のことは、知っているようで実は誰もしらない…
マヤ暦の新年
今回のテーマは「マヤの新年」について、少し説明してみようと思います。

世界中で暦は「太陽」と「月」とを使って作成されているものがたくさんありますね。
中国暦、古代インド暦、古代バビロニア暦やエジプトの暦などは「月」を基準とした太陰暦だったようです。
太陽暦(たいようれき)とは、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作成された暦で、太陰暦(たいいんれき)とは、月の満ち欠けの周期を1ヶ月として計算された暦です。


古代マヤでは「太陽」を1キン(1日)としてた「ハアブ暦」と呼ばれています。
その始まりは「0ポップ」という名前の日から始まります。

現在わたしたちが日常使っているカレンダーは「グレゴリオ暦」と呼ばれ、365日の太陽周期を調整するため4年に一度「閏年」をつくって、暦を太陽の動きに合わせています。

しかしマヤの太陽カレンダーは少し違います。

月にあたる1ヶ月は、20日間あります。「0・ポップ」から始まって、「19・ポップ」で終わります。
たとえば私たちのカレンダーでいう1月1日という日は、マヤでは「0・ポップ」と呼ばれます。
1月2日は「1・ポップ」、3日は「2・ポップ」のように進んで、最後は「19・ポップ」で次の月となる2月1日「0・ウォ」月へとバトンタッチします。

ですので、1年は12ヶ月ではなく、18ヶ月となります。
しかし18ヶ月ですと、365日に5日足りません。
そこで、最終月「ワイエブ」月をもうけました。
1月たったの5日間です。
そして閏年もありません。

古代マヤの天文学者たちは、1年の本当の長さがおよそ365.2425日に近いものであることを、知っていましたが、ハアブ暦を太陽の暦にあわせることをしなかったそうです。

マヤの太陽暦を20×18ヶ月+5=365日 として進めていくと、当然ハアブ暦は太陽暦を越えて動いていきます。

0・ポップというマヤのハアブ暦新年は、1553年頃は7月13日の「風・10」あたりだったそうです。



ここで、もう一つマヤには太陽の暦である「ハアブ暦」とは別にマヤ暦「Cholq'ij(ツォルキン)」という暦があります。

20のデイサインが時の顔となり、13の数字と組み合わさりながら260日を1周期として巡回している神聖暦と呼ばれるものです。

マヤの人々は、儀式を行なう際や収穫の時を読むためにこの「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」を組み合わせて使っていました。


たとえば1977年1月1日という日をマヤ・カレンダーに変えてみると「9・風、5・カンキン(14月)」となります。
「9・風」という日はマヤツォルキン暦を調べると260日後にはやってきます。
「5・カンキン月」はハアブ暦365日後にはやってきます。

そして生まれた時の「9・風、5・カンキン(14月)」がやってくるのは、260と365の最小公倍数である18980となり、52年後となるのです。
 余談ですが、この52年周期は「年の束」とよばれ、個人にとって「第二の誕生」「完全に成熟した証」として大切にされていました。
これは「本卦還り」という日本の還暦に近い考え方を持っているものです。



マヤの古典期では、マヤ元日はハアブ暦の「0・ポップ」だったといいます。
そしてその日の「ツォルキン」のデイサインをその1年の名前にしたのだそうです。
これを「イアーベアラー(年の担ぎ手または年の守護者)」といって、そのハアブ年に影響を与える守護者として、特定の性格を持っていると信じていました。

この年の担ぎ手となるのは、20のデイサインの4つにしか一致しないのです。
(20のデイサインを365日にあてはめていくと、毎年5ずつずれていき、4年後には20ずれるため、元に戻る。このため、0・ポップにめぐり合うツォルキンのデイサインは4つだけだとされる。)

この「ツォルキン暦」と「ハアブ暦」の二つのカレンダーは、そのような古典期の慣習をうけ、「0・ポップ」の日のデイサインを年の守護者として「新年」と決定していたようです。

しかしそこにも諸説あり、古代アステカではこの4つの年の守護者を「コーン、ナイフ、夜、ウサギ」としていましたし、スペイン人に占領されたユカタンのマヤ族の時代では「水、ジャガー、嵐、トカゲ」を使っていたとも言われています。


その後現代のキチェー・マヤ族は「ティカル」や「テオティワカン」の時代に使っていた「風、シカ、道、香」の日を新年として祝うという慣習に落ち着いているようですので、私も同じようにカレンダーを作成して使用しています。

この新年は一定の法則にしたがって回っています。
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッドがある「チチェン・イッツァ」が世界遺産に登録された1988年の新年は2月28日「2・香」でした。

その後
1989年2月27日「3・風」
1990年2月27日「4・シカ」
1991年2月27日「5・道」
1992年2月27日「6・香」
1993年2月26日「7・風」
1994年2月26日「8・シカ」
1995年2月26日「9・道」


2009年2月22日「10・風」
2010年2月22日「11・シカ」
2011年2月22日「12・道」
2012年2月22日「13・香」
この年の12月でグレートサイクルが終わります。

マヤツォルキン暦の年の守護者をもって「新年」と見るか、ハアブ暦の「0・ポップ」をもって「新年」とみるか、年の守護者をアステカやティカルに合わせたデイサインとして見るか、またなぜ年の守護者がずれていったのかなどについては、様々な説がありますので、その理由ははっきりと解明されていないのが現状のようです。


私がマヤ占い研究の上でベースとしているマヤ暦の新年は、現代マヤ暦を継承しているグゥアテマラのカレンダーシャーマンが祝う2月説を「新年」として使用しています。
ちなみにですが、今年2010年の「0・ポップ」は4月3日の「シカ・12」の日でした。
どちらにしても今年は「シカ年」なのですね!^^



◇参考サイト◇

2009年 マヤ新年2月22日「風・10」

2010年 マヤ新年2月22日「シカ・11」

シカ年について

| マヤ占い | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
忘却の河を渡る
チグリス・ユーフラテス河をはじめ、たくさんの河は生命を育むよう私たちの世界を包み、豊かに潤いを与えてくれています。
しかし時に河は、自然の産物ゆえ生命を飲み込むこともあります。

命あるものは創られたものに依存しないと生きられません。
そして自然も創造者のものであって、私たち人類が勝手に操作してよいものではありません。


私たち人間は二元性の中で生きています。
存在と非存在、有と無、生と死、善と悪、黒と白…のように、1が全てであったところから分離することで始まりました。
父なる神から子が生まれたようにです。


因果の法則も同じです。
原因があれば、そこには必ず結果が生まれます。
分離の世界があるのですから、永遠の世界もあります。
それらすべては生きることにおいては当たり前のことです。
ちょっとした思い方次第で、人生プラスにもなればマイナスにもなります。
かといって運命が司っている領域は自分の思うままには変えられません。
苦悩と挫折も生きている以上は避けられない道です。
それらは全て「一定の真理に基づいて」遂行されているのです。


現世今生は魂の修行場です。


カルマの法則があるのも、神の愛があるのも、地獄のような苦しみや至福の幸せがあるのもすべて「魂の学び」のために存在しています。
人の魂が成長するために実は「真理」が大きな働きをしています。

マヤの宇宙観にもたくさんの「真理」があります。

古代マヤの人たちにとって「時」は循環して巡ってくるものでした。
未来も過去も同じ円周上にあります。
時計が円形を象っていて、12時からスタートして再び12時に戻るのも同じような象徴的意味を持っています。


魂は天界にいて人間界に「誕生する時」を待っています。

指導者と相談しながら、次の生の目的や使命を確認し、どのような環境が良いか、どんな家族が良いか、修行を通して乗り越えるカルマは何か、ナーカルと手を取り合うのに相応しい守護者は誰か、時代はいつがいいか、どの国がいいか・・・と。

そして永遠の世界から再び二元の分離の世界、時間のある世界へと戻ってくるのが「魂の旅立ち」の時です。

そこで非存在だった魂は存在する人間となり、永遠の世界から時間のある世界へと入り込むとき、大きな河を再び渡ります。
この河は人間が生から死へと移行するときに渡る河と同じです。(プラトンも著書『国家』で述べています)


この魂が「生」の世界へと河を渡り始めた時、永遠の世界で指導者と相談し、話し合って決めてきた事柄や全ての運命の道や流れを一つ残らず忘れてしまいます。

ここがポイントです。

「忘れている」だけです。記憶がなくなってしまったわけではないのです。
その記憶はどこに残っているのかというと、潜在意識・無意識の層です。

ふとした瞬間、あるいは意識が正常に保てないほど衝撃的なことがおこって身体を抜け出してしまったときなど断片的に思い出します。
また無意識層からメッセージが送られてくることもあります。

自分の使命や魂の修行の目的、直感を通して守護者から送られてくるイメージや指導などは、あらゆる場面でその人にサインとして送られます。
潜在意識はそれを伝える役目を持っているのだと思います。

魂にとって故郷を思い出すことは、たとえようのないほどの喜びです。
幸せというような言葉で表せないくらい至福の境地です。
そこにあるのは永遠の世界であり、時間のないせかい、二元性の分離が再び統合されて一つとなる世界への帰昇です。
これを「アセンション」ともいいます。

マヤの教えは、イメージやナーカルの特性を通して潜在意識に働きかける真理の力を持っています。
グノーシスという古代宇宙論にあるヌースへの到達も、錬金術というヘルメスの秘密の教えも、ピタゴラス主義者が2を1どうしの混合と考えていたことも全ての真理の奥義には、同じ構造が見え隠れしています。

マヤの暦やナーカルの存在は、単に占いにとどめることなど出来ないほど偉大な教えを持っているのです。

忘却の河を渡った瞬間全てを忘れた時のことを、生あるうちに思い出すことができ再び河を渡ることができてこそ、魂の修行を完成させることができるのです。
その時人はすべての魂と一つに結ばれることが出来ます。


| | 12:12 | comments(0) | trackbacks(1) |
しつけとおしつけ
JUGEMテーマ:育児


渡辺和子著書 「美しい人に」という本に「しつけとおしつけ」というエッセイがあります。


渡辺和子さん(昭和2年生まれ)は、学校法人ノートルダム清心学園の理事長でカトリック修道女シスターとして、様々な講演活動や執筆を行なっていらっしゃいます。

                    

このエッセイを読んだ当時、私は子どもたちのしつけ真っ最中でした。

子どもを躾けるってどうやれば上手くいくの? 
どこまで厳しく何を真剣に教えなくちゃいけないの? 
スパルタ式がいいのか放任のように自由にさせるのがいいのか正解はあるの?!…


子育てとしつけにも成功・正解はあるはずだと信じて、貪欲に知識を求めていた時期でもありました。

ところが毎日の生活では、どんなしつけ本に書いてある通りにもならず順調には思えないことばかりが続きます。子どもは怪獣だから。そこでまた不安になったり葛藤したり、叱り付けては自己嫌悪に陥ったりと母親としての苦悩は続きました。


そんなときに出合ったのがこの本でした。
本文より引用してご紹介しましょう。


 しつけというものは元来、和裁をする時に縫いにくいところ、しかもその箇所の出来、不出来で仕立ての腕が問われるような、いわば急所というべきところにかけられるものである。したがってどこでもかしこでもかけるものでないし、また、むつかしいところにかけるために、忍耐と技術が必要だということは、そのまま子どものしつけにも当てはまることである。しかし何といっても、しつけにおいていちばん大切なことは、それがいつかは取り去られるものであり、しつけの意義は「かける」ことにあるのでなく、取った後に美しい姿が無理なくあることだという点であろう。今日、子どものしつけに金糸、銀の糸を用いてかけている向きがあるが、これはその趣旨にもとり、子どもの美しく自由な姿を願う心よりも、むしろ自分の満足、見栄のためにかけているようなものである。

 ほんとうに自由な子どもとは正しく選ぶことのできる子どもである。人間の自由とは根本的に「選ぶ自由」だということを私たちは忘れてはならない。

 しつけとは本能的、衝動的な人間の行動を抑えて、自分にとってほんとうに為になる行動を「自由に」選ばせる自制心を養うものであり、その意味で自由を守るものでこそあれ、それを侵すものではない。

 子どもたちの欲求をすべて、即座に叶えることは不可能なことであり、また、してはならないことでもある。自分中心に世界が動くものだと考える子どもたちに、残酷なようでもそうでない事実を知らせてやらねばならない。
子どもの欲求を抑圧してはならないと言った信念のもとにしたい放題をさせる親や、教師があるとすれば、それは子供の「したい性」をのばすものであっても「主体性」をのばすものとは言い難い。先に述べたように「自由」とは子どものしたい放題にさせることでなく、したがることと、そうでないこととの間で選ばせる「自由」である。

 私たちの生活の中の喜怒哀楽というものも大部分、自分が怒り悲しんでいることの本当の価値を見定めることによって霧消し、自分を有頂天にさせていることのこれまた本当の価値を考察することによって冷静に、そして謙虚にさえなれるのである。要求についても同様で、私たちは自分の欲求が本当に必要なものなのかを見究めることを忘れてはならないし、面倒をいとわず見究めることこそ「しつけ」なのである。
しつけの目的は「しばる」ことでなく「解放する」ことであり、その自由さは孔子が論語に述べているように「われ七十にして、心の欲するところにしたがえどものりをこえず」といった心の自由さを意味するものである。

「美しい人に−愛はほほえみから」PHP研究所 一部引用


「しつけ」がいつの間にか「おしつけ」になっていたり、自分の満足や見栄を含めた親のエゴになっていたりあるいは解放でなく束縛になっていたりしてはいけない!と教えてくれた心に落ちる教えでした。



それまで何だか張り詰めて頑張っていた心の荷がふっとおりたようで、気持ちが楽になった記憶があります。


今ではその子どもたちも私を上から見下ろして「わかってるから!」と言って出かけていくほど成長しました(*^^)v


当時を振り返りながらこの文章を再度読み返して思ったことは、占いもしつけと同じ意義・目的があるのかもしれないな…ということでした。


占いによって運命を選ぶ自由を感じ、本当の欲求が何かを見究めてそれが必要かそうでないかを考え、心を解放することを目的となるならば、占いは運気を知り己のあるべき道を知る素晴らしい叡智だと思います。 しかしいつの間にか占いがおしつけや縛りになってしまっては、元も子もありません。

マヤ暦の占術にも、同じような自由観があります。

誕生とともに与えられ、自ら選んで生まれてきた魂の刻印である「デイサイン」を、どのように生かすかは一人ひとり個人の自由意志に委ねられています。


同じサインの一族でも「聖人」のような良い人もいれば、悪人もいます。その違いはナーカルデイサインが本来持っている運命の力を、プラスの方向へ用いているか、生命力を萎えさせる悪や死のマイナス方向に用いているかの違いによるわけです。

どちらを選択するのもその人の自由です。


しつけとおしつけが教えてくれた本当の意味に再び出会えたようで、あるいは自らを律する大切な教訓にマヤの自由観が出合ったようで、あらためてしつけの大切さを実感した私でした。


| 社会・規則 | 16:20 | comments(0) | trackbacks(1) |
驚くほど相性抜群の渡辺謙夫妻!
 

渡辺謙さんといえば、「沈まぬ太陽」の『最優秀 主演男優賞』受賞 はまだ記憶にも新しいと思いますが、素晴らしい男優さんですよね!カッコいいです♪^^

「硫黄島からの手紙」も演技が光っていました。

今回『インセプション』では、あのレオナルド・ディカプリオさまと共演され「ケンは素晴らしいタレントだよ。撮影の合間のジョークは楽しかったよ」 などと某TV番組のコメントにディカプリオさまより貴重なお言葉を頂いておりました。

奥様の「南 果歩」さんも素敵な女性ですね。
先日「瞬間幸福」というエッセイ集を出版されまして、彼女の言葉の美しさが好きだった私は早速購入して読ませていただきました。

心地よい風がいつも吹いているような気さくな文章を書かれるのですが、そこには飾り気のない純真な心や本音がいつも優し気に見え隠れしていて、こちらまで励まされてしまいます。

序 の冒頭で果歩さんはこう語っています。

「二度も結婚したことのある私が結婚願望などなかったというと笑われるかもしれないが、実際そうなのだ。何とかしてあげたいと思う人が目の前に現れたから結婚してしまった。これが本音だ。そこに計算など存在しない。六割は直感と流れを信じて、残りの四割は『うっかり』と言うべきか。」

「人生には常に迷いがつきまとう。それは幾つになっても形を変えて付いてくる。年を重ねる毎に許せることが増えて肩の力が抜けてはくるが、それでも迷いはなくならない。」

うっかりとは言っているが、きっと素直に直感を信じて流れにのったのが一番の理由だったに違いありません。


二人のマヤ暦のサインと相性を見てみました。

◆渡辺謙さん
 マヤ暦デイサイン: 祖先6
◇南 果歩さん
 マヤ暦デイサイン: 道11

このお二人、上下につながりあっているデイサインと全く同じなんです。

自分の一部のように理解できる相性の良い相手同士です!

謙さんにとっては過去(根っことなる)のサインが奥様のサイン「道」、果歩さんにとっては未来の希望となるサインが謙さんの「祖先」です。

しかも、謙さんの生命樹「祖先・6」の過去は「道・11」ですし、果歩さんの生命樹「道・11」の未来のサインは「祖先・6」なのです。
数字までまったく同じものが自分を助けるサインと合致している夫婦なんて本当に珍しいのですよ!

マヤデイサインの相性からみると、抜群のお相手です。
親子によく見られるような関係でもあるので、お互いが相手を思いやり、励ましあいながら、助け合って家庭を築いていかれるはずです。

いいなぁ〜〜
最高の相性のご夫妻ですもの。
きっとこれからもハリウッドや世界を舞台に頑張っていかれるに違いありません!!

(*^^)v


| 時の人 | 00:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
霊性に目覚める「時」
      風の悪戯

霊的なものや魂の神秘、神聖なものなどスピリチュアルなことに敏感な人とそうでない人がいます。
もちろんその人が精神世界について信じる・信じないということや価値観、意志も影響するとは思いますが、それだけではないように思います。


霊的なことや超能力、特殊な感覚や超常現象、異次元世界とのコンタクトなどそれらは、本当はすべて人間の脳や心の中に本来遺伝子情報として、あるいは集合的無意識として備わっているか記憶している機能であり、元素エネルギーなのだと私は思います。

しかし残念ながら現代社会は、それを許せる・認める・理解する環境としては相応しいものではありません。太陽が昇って沈むまでの間、または月が昇って再び沈むまでの間、人は天界やシバルバー(夜の世界)から流出しているエネルギーやメッセージを感じて仕事や生活をすることがあるでしょうか?
ほとんどの人は忙しく働いていますのでそのような感覚に従うことは無理に等しいかもしれませんね。


見えない世界をあるがままに受け取るということに敏感な人は、自分の内側にある心の動きや考え、ちょっとした変化や出来事に脳や霊が反応することを許している人たちだと思います。

外部からの情報に反応するとき、普通人は善悪や道徳、常識などを踏まえた上で頭で考えて言葉や行動に移します。しかし自分の内面にある霊性を認め、魂が研ぎ澄まされている人にとっては、頭で考えるより以前に「何か」が考え、自分の意識の先導となり導いてくれることを受け容れてみようとする意志が無意識に働きます。
それはもしかしたらゲオルグ・グロデックのいう「es(エス)」との対話かもしれませんし、ユングのいう主張する元型というものかもしれません。


では「霊性」はどこにあって、どのようなものなのでしょう。




◆「脳の暗黒エネルギー」

日経サイエンス2010年6月号に「浮かび上がる脳の陰の活動」("The Brain's Dark Energy")という記事があります。脳機能を研究してきたワシントン大学医学部の放射線科と神経科の教授Marcus.E. Raichle氏は、とても興味深いことを発見しました。

少しだけ概要を紹介します。


これまでの神経科学では、安静時の脳は休んでいて神経の活動はしていないと考えられてきました。
しかし、最近の脳機能イメージング研究によって、驚くべき事実が明らかになってきたそうです。
何もせず、ぼんやりしている時でも、脳では非常に重要な活動が営まれていたのだと。

これから起こりうる出来事に備えて”スタンバイ”している状態なのですが、その際特定の脳領域では高い活動レベルを維持していることが明らかになったというものです。

PETやfMRIを使って脳活動の計測をする際、今まではある知覚や行動に関係する脳領域を正確に特定するための実験を行なってきたのですが、ここ数年「休んでぼんやりしている時の脳ではどのような活動が起きているのか」という”水面下の脳活動”の存在について研究をはじめたそうです。

解析を進めた結果、特定のタスクを行なう際に脳が必要とするエネルギーは、安静状態で使われるエネルギーの5%にも満たないことがわかったそうです。
つまり脳全体が消費するエネルギーの60〜80%は、ぼんやりしていたとき急に飛んできたハエを追いはらうとかのようなタスクを行うとか処理するとかとは関係のない、内因性の活動に費やされていたというのです。そしてこれを「脳の暗黒エネルギー」と名づけ、研究を続けていくことで意識の本質を明らかにする手掛かりを与えてくれるかもしれないのだと。

詳しい内容は記事を読んでいただければと思います。



脳の休息は実は休息ではなかったということになりますよね。
意識上はぼ〜っとリラックスしているのに、脳はスタンバイしながらも内因性活動のために水面下で物凄いエネルギーを使って活動を行なっていたのです。


誰にでも「思いつき」や「ひらめき」はあります。
仕事が終わり、熱いシャワーで汗をながしさっぱりとした後ググーっとビールを飲みながら、美味しい食事を頂く。テレビのニュース番組を見ながらリラックスしているとき、突然のように浮かび上がってきた現在取り掛かっている大きなプロジェクトのトラブル回避方法! 我を忘れて紙とペンを探して書き留める…

そんなことは誰にでもあると思います。

それは自分の意識が考えたことでしょうか?それとも自分の中にある「何か」「es」のようなものから察知した考えでしょうか?


私たちが思っているほど自分の意識や脳は強くない。
逆に思っているほど無意識や脳の暗黒エネルギーは不思議でも弱くも不確かでもない。
確かなことは、暗黒のエネルギーが宇宙にも、脳内にも、そして精神の無意識領域にも「ある」ということです。そしてそれらが生命が存続するエネルギーを支えているという真実です。


アセンションと変容に向けて神秘なる「何か」や「es」は、今まさに私たち人間の意識のすぐそばまでやって来ています。

神経科学や脳科学、自然科学や天文学、素粒子物理学ではその分野で新しい「何か」を発見し、精神世界や超世界、神話や宗教の本質、異次元とのコンタクトなどの不思議な現象は、時空を超えて常に過去や未来から「何か」を伝えようとメッセージを送り続けている。

人間には意識と無意識があり、無意識は意識を支えるような大きな根っことして例えられたり、あるいは意識は氷山の一角に過ぎないといわれ、無意識の大きな存在を私たちは知っています。

それと同じように脳内においても暗黒のエネルギーが活発に動いていて、水面下で神経活動が確かに行なわれていることが証明できるとしたら、素晴らしい発見に違いないと思いますし、さらに脳の不思議は今や心や無意識の領域にリンクしていく予感がしませんか?


◆「2012年12月21日」マヤ暦の終わりの「時」


神秘はその人に相応しい「時」を待っています。

「2012年12月21日」マヤ暦の終わりの「時」についても考えてみましょう。

12月21日から22日にかけての夜は、単に一年で最も長いというだけではありません。
春分・秋分点歳差のために、その日は太陽が正確に南の「スターゲイト」の位置にくるときでもあるのです。スターゲイトとは、天の黄道と銀河の正中面の交点です。

古代マヤ人が長い周期を測るのに、金星の周期を用いていたといわれています。
また別の学説ではポール・シフトという地球の地軸がシフトする磁場の逆転が起きた時から始まったともいわれています。

そして2012年12月21日(4・アハウの日)、マヤの長期暦(ロングカウント)が13バクツンの終わりを迎えるのです。

このとき太陽の位置は冬至において銀河の中心に位置することになるそうです。

2012年の冬至の日、太陽は天の川の中に帯状に伸びる暗い部分と直列する。そこには太陽の300万倍の質量を持つブラックホールがあるといわれています。
このような配置…つまりその時の太陽を見ると、同時に銀河の中心核を見ていることになるという。が実現するのは、およそ2万5800年の歳差周期の中でほんの数年たった一度だけなのだそうです。

こんな驚くような偶然などはあるはずがない。
というのがマヤの学者とマヤ長期暦の研究家たちの考えなのです。

この帯状の暗い部分は、マヤではシバルバー(地下世界への暗い道)と呼ばれています。

   

マヤの宇宙は目に見える地上の世界、見えない天界、そして冥界である地下世界の3つがある。シバルバーへの入り口は天の川の中に見える暗い部分で、夜になると地上の上に回ってきて、夜(地下世界)の9人の王ボロンティクが影響力を持つと信じられていました。
天の川はマヤ人にとって死者の魂の道なのです。

マヤの長期暦が示す日が 13.0.0.0.0 です。
13バクツンの終わり「4・アハウ」の時を古代マヤの人たちは運命の日として予言していました。

冬至の太陽が正確に南のスターゲイトに来て、シバルバーの口が開く・・地下世界への道が開くと。


マヤの長老や神官はいっています。

2012年マヤの暦が終わるのは終末ではなく変容の時なのだと。新しい時代の始まりだと。



◆そして…

アセンションや自己実現、自分の霊性に目覚めるということについて、自分にはそんな不思議な力などないと思っている人は、実は特殊な能力に無意識が敏感に反応している証拠であり、その「時」が近づいている。ということなのだと私は思うのです。


自分の内的霊性に目覚め、自己覚醒とアセンションが実現するためには、遺伝子情報あるいは無意識の中にある「何か」が『その人にしかわからないようなやり方』でメッセージを送り始めるからです。
すべての人が同じような方法というのはあり得ないことなのです。

「古代マヤ文明の暗号」を著したエイドリアン・ギルバートはいいます。


「その暦(マヤ暦)が宇宙から地球にやってきた知的霊体から授けられたものだということを受け容れるなら、2012年12月22日(21日)は彼らの帰還が予定されている日なのかもしれない。ゆえにその日は、我々が胸に刻むべき運命の日となるのだ」


自分の霊性に目覚めるということは、どの人にとってもおそらく「衝撃的」で「驚異的」、「不思議」で「あり得ない」体験としてやってくるのではないかと思います。
そしてそれは訓練することや、疑似体験とか手続き的、あるいは技術的なものでそのようになるとは言い切れないところがあるように思います。

アセンションなど何も知らない、普通の人に突然訪れることもあるからです。
そしてそれは「時の王」に選ばれ、その人の魂と霊に相応しい「時」、その人だけにわかるようなやり方で啓示されるものではないでしょうか。


「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下ってくるのを見た。…都には神の栄光があった。」
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」

聖書黙示21・22より

アセンションの秘密の教えは、心で聞こえる「音のない真実の言葉」から来るのだと私は思っています。

| アセンション | 20:00 | comments(0) | trackbacks(1) |
超パワースポット〜意識のゼロ化〜

引き込み現象については以前記事で紹介したことがあります。

引き込み現象とは、異なった波長と位相で振動している二つの振り子時計を、木の台に固定し、そのまま置いておくと、やがて振動が同調しはじめ、それぞれの時計の振動が引き込みあい、時計は同じ進み方をするようになるというような現象をいいます。
人間の場合、ある人とはなぜかわからないが波長が合うとか、同じ波長を体内リズムや無意識に持っていると、会いたいと思ってた人にまさに偶然街で会う、のような現象もそうと言えるかもしれません。

評論家の浦達也氏が著した「仮想文明の誕生」という本に、引き込み現象についての記事が書かれています。

たとえばラジオ放送では、放送局から送られてくる電波の周波数に、受け取る側がダイアルを回して近づけていくと、ピッタリと一致せずとも、互いが引き込み現象を起こし、音が急にクリアになる。
また気功の先生が外部に向かって気を発すると、本人自身の脳波だけでなく、近くにいる他人の脳波まで気の影響を与えることが出来る。というような現象も、引き込み現象といえるかもしれない。
と書かれています。


今日はとても面白いパワースポットと「意識のゼロ化」という理論を考えてみたいと思います。

最近では聖地やパワースポットがTVやネット、雑誌などで取り上げられ、人気度がとても高まっていますね。


そこにある聖なるパワーの根源には「ゼロ磁場」が関係しているのではないかとして研究されている教授がいらっしゃいます。(電気通信大学・佐々木名誉教授)

ゼロ磁場というのは、N極とS極という正反対の磁界が向き合うことで磁力が相殺され、「ゼロ」もしくは限りなくゼロに近くなっている特殊な場をいうのだそうです。 ただこの「ゼロ」は何もないという0を意味するのではなく、お相撲さんがものすごい力で押し合っているときに両者不動のものとなり、見かけ上はエネルギーが消滅しあってるかのように動かない特殊な均衡のとれたパワーをいうのだそうです。


この「ゼロ磁場」が人間と接触を持つと、そこへ宇宙からのエネルギーが引き込まれるという現象がおこることにより、特殊な変性意識がおこったり、超能力、超常現象や身体の免疫力が増強され病気が治癒されるなどのような不思議な現象が生じたりするのではないかと推論されているのです。


以下、ムー8月号(No.357)本文より一部抜粋してご紹介します。


「研究室で人工的にゼロ磁場をつくりだして実験したところ、ゼロ磁場に置いた水の電気伝導率に変化が生じたという。
 既知の科学理論では起りえない現象であり、佐々木教授はゼロ磁場では超常現象を起こす未知のエネルギーが作用しているのではないかと推論し、そのエネルギーを別の次元(5次元)世界から流入してくる「宇宙エネルギー」と見なした。
 そしてゼロ磁場が生じるとなんらかの共鳴・共振作用が起こり、次元が異なる世界に偏在している宇宙エネルギーが我々が存在する3次元世界に流入してくる、と主張する。つまり、ゼロ磁場自体が不思議なパワーを発しているのではなく、ゼロ磁場は別の次元世界との接点であり、宇宙エネルギーが流れこむ入り口になっている、というのである。
その宇宙エネルギーは3次元世界で超常現象や奇跡を起こすエネルギーであり、気功師や超能力者んどは、ゼロ磁場を無意識のうちに作り出してそのエネルギーを利用しているのではないか、というのが佐々木教授の推論だ。
 超能力が発揮されるとき、超能力者の意識は無意識にかぎりなく近い『変性意識状態』になることが各種実験で確かめられており、それを佐々木教授は『意識のゼロ化』と呼ぶ」


引き込み現象という概念において、意識が無意識にかぎりなく近い状態とは、リラックスしている状態に近い状態で、その時の脳はアルファ波です。変性意識状態では、多くの異なる脳波が10ヘルツ付近のアルファ波に導かれるといわれています。


ゼロ磁場のようなパワースポットへ行くと、自分の意識が瞑想やリラックスによって次第に無意識に近い状態へと引き寄せられ、アルファ波に同調していくのでしょう。 するとゼロ磁場から流入してくる「宇宙エネルギー」と引き込み現象のような状態を引き起こし、病気が治ったり、不思議な力を得たりすることは十分に納得できるものだと思います。

無意識の心理学を学んでいると、無意識とは「意識が無い状態」ではないということがわかります。
意識とは異なる別の感覚や精神状態、心模様を「無意識」と呼んでいるだけなのですね。 そこには無限大にあるエネルギーや可能性があり、それが元型の力やイメージとなって、その人に何かを伝えてくるのだと考えられるわけです。

パワースポットで「意識のゼロ化」を体験するのも、最高に面白そうですよね!


ゼロ磁場や意識のゼロ化について、詳しく知りたい方はムー8月号を参考にしてみてくださいね。

また宇宙エネルギーが流入している聖地やディープ・パワースポットをもっと知りたい方は、アネモネ8月号を参考にどうぞ♪

恐るべし「意識のゼロ化」理論です!


「α波の右脳が天使を視る」

「地球の磁場が逆転する日」



評価:
---
学研マーケティング
¥ 670
(2010-07-09)

| 学問と神秘 | 13:32 | comments(1) | trackbacks(0) |
占いに祈りと愛をこめて・・
今日は占い師としての私、人間としての私、そしてお客様とのつながりやご縁を少しだけ紹介してみたいと思います。


まず最初にお伝えしたいと思います!
わたしは結構へんなおばさん占い師です(^^ゞ


おばさんなのにまっすぐで楽しく、子どものように自由な世界観が好き。
想像力をつかった妄想と創造がすき。。(*^^)v
社会という固まった支配や束縛は大嫌い。
嘘や納得いかないことからは黙って去るか断固戦う。

純粋性や超越した個性、面白い人や変わった人、普通の人からは嫌われたり人間離れしている人が好き!なんです。


まぁつまり、私は変わり者なのだと・・・(^^ゞ


私のお客様はなぜかある意味で

「人間離れした人、人間社会に適応はできるけど好きではない人、自分探しをしている人、現実の苦難苦行に戦い疲れている人、純粋な精神を持っている人、不思議な体験をされている人…」

のように、生まれたときから不思議な運命を持っていたり、霊的感性の鋭さをもって生きている方が多くいらっしゃいます。

そういうと「変な人しか占いに来ないの?!」と思われてしまうかもしれませんが、それは誤解です


仏教学者として大変有名な「鈴木大拙」さんが本の中で言っておられました。


「馬鹿と大天才との区別をつけようとするならば、大馬鹿にも大天才と同じ因子があるかもしれない。ただ天才はそれを『表現する』ことを知っているが、それをもたない者が大馬鹿となる。どちらにも同じものが備わっていて、素質がある。ただ、その力の表現が可能であるかないかによるのである。…そのような力が心にはあって、石や山でさえ動かす、うなずかせるという大きな可能性を秘めている。しかし人間であるかぎり、言語や象徴、芸術をとおして大宇宙の意識を現さなければならぬのである。」


これを私なりに解釈すると、自分の心にある妄想や夢、自分の中にある悩み、悲しみ、辛さなどのような心模様、不思議体験や困難な状況などすべてをありのままに「表現する」こと、できることが「自分という運命の主導権を握る鍵」となり「天才となる素質」なのだと語っておられるのではないかと思うわけです。

感性豊かな皆さんのご相談を伺っていると、霊的修行におけるヒエラルキーの高さや、芸術センス、霊の個性や引き寄せの力をいつも感じて感動しております。


                

わたしは占いを始めるとき、みなさんに何を知りたいか占いたいのかをはじめにお尋ねしています。
ご相談を受けた時、お客様が自分の言葉で話しているか、占いで何を知りたいのか、その方の声の波動を感じながら心の声に耳を傾けています。
そこで感じてしまうのです。「この方は不思議ちゃんかも・・・とか、面白い!素晴らしい!」とか。。。^_^;

恋愛やお仕事、人生についての悩みも後ろ向きでなく前向きに悩んでいて、エゴや煩悩だけに囚われて悩んでいるお客様は少ないように感じます。

私の占術は古代マヤデイサイン占いや錬金術占い、守護妖精占いや霊感霊視などのような超世界の叡智を感じ取って占うものです。

占いという技法に囚われず、宇宙の真理やスピリチュアルな波動・波長をお客さまと自分の間に流れとして感じながら、占術にあたっています。

特にその人の中に流れているエネルギー、波動、霊的な攻撃、偏ってしまっているマヤ生命樹のバランスをみて、本人にお伝えしていくのが得意ですし、無意識に潜む元型の力をデイサインや象徴的占術をつかって、言葉にしてあらわしていくことも得意としています。


もちろんマヤ占いという大変素晴らしい古代の叡智に預かって、そのデイサインの特性や相性、神秘を見ながら運気は占っておりますが!^^



でも…人間としての私はやっぱり変なおばさんです。


人間を長年やっていくと、人はどうしても人間としての毒素やしがらみ、道徳や社会的・論理的思考から抜け出せなくなっていきます。
本音と建て前のようにわけのわからない次元で会話や仕事を成立させ、自分の全てを生活のためにと駆り立てて時を過ごしていかなくてはなりません。
その上家族や友達とも上手くコミュニケーションが出来ない・心や魂が通じ合えないとしたら、俗世間が嫌になってしまうほうが当然!なのですから。

現実から逃げ出したい、現実を変えたい、自分がおかしいのだろうか…と次第に人間どころか自分すらわからなくなっていく・・・
恐ろしいところです。人間界は。。


私は宗教でいうと「キリスト教」出身者です。
イエス・キリストは救い主。贖い主。
礼拝をしながら賛美や祈りをささげてきました。

ある時そのイエスキリストに出会うという宗教神秘体験をしてからは、キリスト教を卒業してしまいました。

すると不思議なことに、仏教や密教、道教やイスラム、ヒンドゥ教など他の宗教の神様も愛せるようになりました。もちろんマヤの神々もですが!


世界と自分が繋がって神と一つになれたことで、それまで見えなかったものが見えるようになったのです。


そしたら自分という肉体(仮の宿)が背負っているものなんて、人間が思っているほど固まったものではなく、水のように流れては気化していくものだということがわかったのです。

生まれた時は何ももっていなかったのですし、死にゆくときも何も持って旅立てません。じゃあ生まれた日から死ぬ瞬間まで、自分はどう生きていけばいいのかを素直に考え、感じられるようになりました。


私のところへご相談にいらしてくださった方は、皆さん私にはない素敵な個性や才能をお持ちです。
強運を持っている方、金運、仕事運、恋運や幸せ運、人脈や芸術的才能もいっぱ〜〜い持っていらっしゃいます。 

それほど純粋な愛や変わった個性をもっているが故に、それを他人に理解されずに苦しんでいたり、使いこなせずに悩んでいたりする方が多いのもまた事実のようです。

おかしいこと、変なことは悪いことではありませんよ(^_-)-☆
自分らしく悩み、生きる。それが一番!

美しいことが好きなら、それを大事にして生きる。
身体を動かすことが好きなら、そう生きる。
英雄になりたいなら、そこへ向かう。
誰かのためにしたいことがあるなら、思った時にする。
自分の心に素直になる。
悲しみも苦しみも人生にはつきもの。
それは自分が成長するためのものだから。
そんなとき安心して相談できる人がいたら、それだけでも救われる。

迷っていい。
立ち止まっていい。
寂しくて泣いていい。
気が狂いそうになっていい。
引きこもっていい。
立ち上がれなくていい。
ありのままでいい。

それでも自分が辛くなったら、電話ください。
全身全霊をもってお話を伺います(^_-)-☆
人気占い師ならエキサイト


弓玉(みろく)

| | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
弥勒菩薩とケツァルコアトル
古代マヤ・神聖暦では、今日は「祖先(アハウ)・1」という日です。

祖先を大事にする、自分の心を大事にする。そして感謝する日です。


古代マヤの先住民たちは「時間」は循環するものとして信じていました。
魂も輪廻するという考えを持っていました。
「アハウ」とは、死んでいったすべての男女と精霊たち、威厳あるもの、完全さと世界樹の中心にたつ王であると同時に神の生まれ変わりを象徴するサインです。

祖先たちと友好的な関係を維持することは、伝統や過去が現在に引き継がれ、生き続けていることを保証してくれます。
先に死んだ人たちを思い出し、受け継いでいる魂、スピリットに感謝をささげることは、また次に新しい生命を得て自分たちの元へと戻ってくるための祈りを捧げるのと同じでした。





霊的にも肉体的にも「アハウ」と呼ばれる祖先たちと結びついていることは、個人としての意識と祖先すべての意識を含む集合的無意識全体とのあいだに連続性を確かにすることであり、また悟りの花を咲かせることができることを意味していました。


祖先・1の日、亡くなった家族、先祖や仏となった霊たちに感謝をささげることは、自分の中にある集合無意識が高次の霊・大きなスピリットに結びついて、自分では知ることのできない未知なる叡智の恩寵にあずかることができるのです。

誰のためでもない「自分の魂と霊のため」「本当の自分と一つになるため」に、祖先の日を感謝の気持ちで過ごしてみましょう。

        


仏教の世界に「弥勒菩薩」がいらっしゃいます。
曼荼羅は、悟りの境地に達するという本質を得ることを、仏教の宇宙観や教理によって、絵画的に表現したものとしているそうです。
その1つに「胎蔵曼荼羅」があります。




胎蔵界とは、胎児が母胎の中で成長するごとく、人が菩提心に目覚め、悟りに導かれる姿を示しています。その中心には、蓮の花の型をした中台八葉院があります。
宇宙の根源である大日如来を中央にすえて、内なる仏性が悟りとして実を結ぶ過程を象徴しているとあります。

東を上として、弥勒菩薩は左上つまり東北の方角に位置して、未来を救済するという慈悲の菩薩です。 釈迦入滅後56億7千万年(太陽系の余命にちかい)後に如来となって衆生を救済するのだといわれています。


マヤ暦でも同じような宇宙観が展開されています。

マヤのツォルキン暦は260日が1サイクル(年)です。
これは人間の妊娠期間をあらわし、本質的には人間意識の旅を象徴しているといわれています。その時を担うアハウは、神の化身です。

太陽神「ケツァルコアトル」は、マヤ族では磔にされた「救世主」であり聖なる不死の神の象徴です。

マヤ族の原住民たちは、ケツァルコアトルは無限の未来に戻ってきて、民の罪を贖うと約束していたと信じていました。



曼荼羅では胎蔵界の中台八葉院に弥勒菩薩をえがき、母胎のなかで成長する悟りの境地をあらわしました。
古代マヤの宇宙・世界観では、ツォルキン暦という時の暦を母胎として、ケツァルコアトルなる救世主が無限の未来を救う神であると信じて悟りへの旅を表していました。


弥勒菩薩もケツァルコアトルもイエス・キリストも、未来にやってきて民を救う贖うという約束をしています。


宗教を超え時代も国境も越えて、神話が語り継がれている世界は、集合無意識を通じて愚かさゆえ迷う人間たちに生きる希望を与え、真理として語りかけ、祖先たちの国、神々の世界を象徴する化身として脈々と生き続けているのですね。


マヤ暦「祖先のトレセーナ」の期間(7月5日〜17日)、私たちがそのことを思い出すのに相応しい自分でいることは大切なのではないかと思わされました。

弥勒菩薩、イエス・キリスト、そしてマヤのケツァルコアトルに栄光を帰して。


マンダラ―神々の降り立つ超常世界
マンダラ―神々の降り立つ超常世界
立川 武蔵
| 文学・神話 | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
封印された悲しみ
出会いと別れ、失恋や叶わぬ恋、失敗や挫折、
どう頑張ってもどうすることも出来ない人生の辛さ・悲しさ…

人はいっぱいいっぱい持って生きています。
思い出したくないこと、抱えて頑張ります。

時がたてば忘れる!

そういわれた言葉を信じて、泣きながら時が経つのをひたすら忍びます。


みんなみんな同じです。

しがみつきたくて、現実を信じたくなくて、まさかの出来事に心は張り裂けそうで、感情は乱れ、精神はずたずたです。

だから人は必ず悲しみを心の奥底に封印します。
それが生きるために必要だから。

     

人は悲しい思い出を封印して生きています。
思い出すと苦しくて辛くて生きるのが嫌になっちゃうから。


☆彡

ようやく悲しみを封印し、時が過ぎて幸せに近づいてきたとき、ふと自分の封印していたものをテレビや映画の1場面で見つけ出すことがあります。

手が止まって一瞬固まります。
うなだれてしまいそうな自分をこらえます。
「今はもう幸せなんだから!もう大丈夫なんだから!思い出したくないんだから!」と。


その時の思いに共鳴してしまう匂い・音楽・物・風景に少しでも出会うと、悲しみは溢れこみ上げてきます。

時間をかけて乗り越えてきたのに、ふっと時間を忘れてそのときの感情に戻ってしまいます。



そこには心の不思議があります。


無意識はやっぱり辛かった自分を受け止めてほしいと、封印の鍵を勝手にあけてしまいます。

せっかく乗り越えた悲しみ・苦しみなんだから、もう見たくない。聞きたくない。思い出したくない。終わったこと!なんだから!!!


でも…それはほんとうの自分じゃない。
ただ封印しただけなの。違うの。

悲しみを封印していても、いつかは解かなくてはならない「時」もやってくる。

忘れるようにと手を貸してくれたはずの「時」が、その悲しみをふたたび思い出すようにと働く。
そう。思い出すのにも「時」があるの。



悲しみの扉を開けて、もう一度本当の自分を見つめてほしいから。
悲しみのなかにある自分も、自分の一部だから。
そうして受け止めてから、ほんとうの自分で本当の幸せを手にしてほしいから。

    

無意識は聖なる時の王者にいわれるまま、悲しみの扉の鍵を開けるときがあるかもしれない。

そのときは封印をといて、悲しみに向き合ってみましょう。


辛かったあの時のこと、忘れられない苦しみを抱えていた時のこと、迷路の中で泣きじゃくっていたあの頃のこと、今の自分なら受け止められる。

受け止めて慰めて、理解してあげられる。


今の私ならきっと大丈夫。
だから封印が解かれる。


そう信じて、自分の悲しみを受け止めてあげましょう。
悲しみよ、こんにちわ。って。
| こころの事 | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
マヤ暦サインから見たW杯・日本の勝運
みなさん、昨晩のサッカーW杯決勝トーナメント見ましたか?!

パラグアイとの決勝トーナメント1回戦、0対0で延長の末ついにPK戦に突入。残念にもPK戦で敗退してしまった日本代表チーム、本当にお疲れさまでした。

それにしてもなぜ勝利の女神は最後に駒野に、日本選手に微笑んではくれなかったのでしょう。



駒野は3年前のアジア・カップでは2度のPK戦でバッチリ成功させていたそうですが、ここまできて極めつけのW杯決勝トーナメントまさかの失敗!不思議だとは思いませんか?


120分ものあいだ1点をとるために走り続けた選手たちですから、当然極度の疲れを感じていたはずですし、プレッシャーだってあったでしょう。
それは選手みな同じ条件でした。


もしかして駒野選手、お腹でも痛かったのかしら…?

そんなこともなさそうです^_^;


不思議だなぁ…!


マヤ占いで解明してみたくなってしまい、今朝は月末の用事を早々にすませ、彼らのサインと運気を調べてみました。

6月29日はマヤ暦では「ジャガー・8」大地の王と祖先に感謝する祝日でした。

ジャガーは冥界の王のサインです。この日は特別に夜のジャガーは目を光らせていたはずです。

私は「死」というサインなので、ジャガーは未来を助け、導いてくれるサインです。ですので朝からローソクとお香を焚いて、ジャガー神には感謝の祈りを捧げました(^o^)丿



サッカーの話に戻しますが、29日決戦の日は冥界の王ジャガーが守護するひきの強い日の夕刻時間にプレー開始でした。


本田選手 ⇒とても素晴らしい働きをした本田選手は「道・1」、しっかりした足取りで自分のすべき道を冷静に全うしていました。
ジャガーは本田選手にとっては慈悲の力として働き、サッカー選手という未来を守ってくれる日でした。

闘莉王選手 ⇒「コンドル・10」みんなを励まし癒しながらも、自らの力を出して必死にフォローに回りました。この日は苦難・困難なことに遭遇したら心で祈ることが効果を発揮する日でした。

中沢選手 ⇒最後の最後まで守備を死守しようと最高に頑張られた中沢選手は「風・13」。 ものすごいパワーで周りに力を与えていたと思います。彼にとっては根っこのサインの日。
無限の可能性を信じて自らの経験と感を信じるパワーが与えられた日でした。

遠藤選手 ⇒パワフルで内側に持つエネルギーが炸裂していましたね。遠藤選手は「トカゲ・13」 成長力と宇宙的アセンションの力で、自分を出し切ることに忠実でした。この日は直接ジャガーの幸運に預かれなかったのですが、トカゲは道と最高の相性を持ちます。遠藤選手が本田選手と力を出し合ったら物凄いパワーになりました。

駒野選手 ⇒プレイ中の彼の目が、私はとても気になっていました。食いついていくような鋭さと負けん気よりも、どこか精神的にしんどそうで不安に負けるものかという目線がちらついていたように思います。
彼のサインは「ウサギ・11」


そしてもう1つ驚く事実がありました!

岡田監督 ⇒ゲームの采配に運と直感、技量がもっとも必要とされる監督。
実は駒野選手と全く同じサイン「ウサギ・11」だったのです!!



29日のジャガーはこの二人にとって女性性を司るサインです。

女性性とは内面、精神性、心理面を司る方角のサインです。
外に見せる自分とは反対の方向で、執着を滅するために自らの心臓を差し出すことで運をつかんでいくのが女性性ジャガーなのです。


ジャガーは強運を象徴するとても強いサインですが、同時に少しでも迷いや欲、執着があったら足を引っ張られてしまう冥界の力をも意味しています。

岡田監督も駒野選手もまったく同じ運命を背負って、最終決戦に望んでいました。
最後のPK戦にきて、二人の思いはジャガーに心臓を差し出す覚悟があったかどうかが勝負どころだったと思います。
少しでも迷い・不安・執着があったら、それは負けを意味することでした。

そしてもう1つ別の意味がありました。
ウサギの未来はコンドル=闘莉王選手、男性性は風=中沢選手です。
勝負に出るときは、未来のサインや仕事や外側にある力としての男性性を前面に出したほうがよい結果が得られることが多いのです。

残念wwww

岡田監督に選手たちと皆さんの運命、そしてジャガーの恐ろしさを伝えていればよかったなぁ〜〜!(*^^)v なんて思ってしまった私でした(^_^;)
| 時の人 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
| 1/25PAGES | >>