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  • 2017.06.23 Friday
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神秘学

スピリチュアルなこと



先日久しぶりに夜の放映番組を見ていると、スピリチュアルなことについて数名のゲストと進行役が座談会のようなものを開催し、対談以上激論以下の討論をされていました。 視聴者の関心度と注目度の高さを受け止めながら、どのようなことを話しているのかと、しばらくの間楽しく拝見していました。

ジュネジャン

そのうちに私はあることに気がつきました。
それは、ある人間には人間の霊性は見えるけれども、人間の霊は形としては見えないという場合と、人間の霊は見えるのに霊性が見えていないという場合があるということでした。
そしてもうひとつは、人間の霊性が位置する、その次元の霊が形となって見えるということでした。
具体的に言うと、地上界で霊を見ることが出来るということは、見ている人は地上の次元において霊性を持っているので、普通の人と何ら変わるものではないということです。

地上に霊があるのと同じように、天上にも霊があります。
地上の波動に霊性が合っているときには、地上の霊視が可能でしょう。
そのように、天上の波動や森羅万象の根源、時空を超えた宇宙の波動に霊性が同化しているのであれば、天上の霊と交信することが可能なのです。



霊性が見えることと、人の「霊」や「オーラエネルギー」「守護霊」「背後霊」や「憑依霊」などのような、一般に「霊」と呼ばれる類の存在を見ることとは、まったく別のものであるということです。

「霊性」というものは、どんなものであるとか、こんなものであるとかはっきりとは言葉にして表現することができませんが、あえて言葉にしてみようとするならば、それは
「人の『心』が持ち秘めている、魂や霊の力道の有り様」
のようなものだと思います。

そしてこの霊性が高められている人は、同じような高まりの波動に反応します。 また逆に霊性が弱まっていたり、低い位置にある人は、同じような波動に同調します。
そのような波動反応を「類は類を呼ぶ」という諺で表すこともあるのだと思います。

私が生涯をかけて研究の課題としている、ユング心理学や神秘主義思想、錬金術や象徴哲学体系、原始キリスト教や古文書とグノーシス主義など、様々な文献や著書を読んでみると分かるのですが、天上における霊は普遍的に語り告げられているという真実を見いだします。

それらの書物を通して、天上の世界を見ることが出来る人々が啓示を受け、実際に存在していたことを伺い知ることが出来るということです。
そして最も大切なことは、神の秘密や叡智を知り、その天上の霊と交信したり変容によって一体化したりすることが出来るのは、天によって選ばれた者だけだと語られているのを発見する、ということです。

またそれらは真実であり、過去数千年の間も現在も変わることなく普遍的な要素を底辺に持ったまま、人間の無意識に受け継がれてきていることを発見するのです。

人は「霊」や「心霊」などのような怪奇で不可思議な現象の存在を、わからないが故に怖がったり、興味半分になってみたり、信じるとか信じないなどの論議の対象にしたりします。
人間の心は本当に弱いので、ともすれば暗示に掛かりやすく、そして霊性の度合いによっては波動に共鳴したり呼応したりしてしまうため、地上にさ迷う霊が下りてきて神憑り的な、また憑依したかのような状態になってしまうケースもあるのだと思います。

霊にもいろいろな種類の霊があるので、霊を見分けることが出来ないのに、霊を信じて受け取ってしまうことは、大きな危険を伴うのです。
神霊や聖霊のように、神から派生している霊が下りてくれば、イエス・キリストや空海、ゲーテ、モーツァルトやダ・ヴィンチのように聖者や天才となって、世にその力を知らせることが出来るでしょう。 
しかし邪霊や悪霊、怨霊や鬼霊、獣の霊などのように、決して反応してはいけない霊が下りてきたとしたら、それは危険極まりない状態になることが考えられるのではないでしょうか。

神に仕える者は、決してそのような愚かなことはしないのです。
自らの心が清められ、浄化されない限りは自分も、ましてや他人をも除霊したり浄化したりすることなど、出来ないということを知っているからではないでしょうか。
祈祷や祈りがなぜ大切か、どのような効力を持って悪霊や怨霊から守ることが出来るのかを神の言葉に忠実であり、また知っているからこそ、そのような行為が許されているのだと思うのです。

霊性を高めることも、自らの霊性を知って心の道に役立てることも、霊を知って霊と交わることも、人が一人で出来るようなことではないのです。
ゆえに「霊」の本性は、愚かな人間の目には隠されて見えないようにと、神の摂理が働いているのではないでしょうか。

霊を見分けることや霊を見たり霊性を知ることなどは、あくまでもスピリチュアルな側面に過ぎません。
スピリチュアルで元になる大切なことは、「自分の心探し」や「自分探し」なのではないでしょうか。
自分の心がどれだけ霊性やスピリチュアルなことを求めているかを知る、ということなのではないでしょうか。

人は人間の力の及ばない不思議なことや、人間という自分や他人の心がわからないから、神秘や精神世界に惹かれ、また旅に出たりするのではないでしょうか。
スピリチュアルな世界に興味を持っているときの人間の心と無意識は、その人の本当の興味が何処にあるかを、自分の意識以上に知っています。
その怖さを真摯に受け止めて、自らの心や霊性と向き合う覚悟が無い限り
スピリチュアルな世界は、日常のただの通過点に過ぎないのかもしれません。

かの有名なフリードリッヒ・ニーチェは、その生涯の最後の時期を悲痛な精神で終えたと言われています。 何故ニーチェのような天才詩人で、思想家のかの人がそのようになったのでしょうか。

ツァラトストラかく語りき 上 (1)
ツァラトストラかく語りき 上 (1)
ニーチェ, 竹山 道雄

私はある著書の中で、ニーチェが自分の作品を生み出すことに対して語っている言葉を発見して、感動しました。

「…自分の手で書いているのではないという感じがある。なによりはっきり気づくのは、頭のてっぺんから足の先までをつらぬく、身をふるわせる無限のスリルである―深い幸福感があり、そこではもっとも辛く陰惨な感情が、実質的には不調和ではなく、このあふれんばかりの光線のなかで、必要な色彩として要求される。……創造のエネルギーがもっとも自由に湧出しているとき、わたしの筋肉は最大に活動する。肉体が霊感を受けるのだ…」

これが神憑りでなくて何でしょうか。
これが霊感ではなく、何の才能でしょうか。

スピリチュアルの本性は、怪奇や不思議でもなく、神聖な心と創造を与える天からの霊感のようなものだと私は思っています。

  • 2007.04.17 Tuesday
  • 22:36

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