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  • 2018.04.13 Friday
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無意識の真実

キレる心

キレるこころ

▼「キレる」という表現には


「キレる」という言葉は最近では、日本人の半数以上が理解する流行語となりました。ちょっと前には、「プッツンした人」のように「キレる」に類似する意味を持つ「プッツン」も流行り言葉として登場していました。

また、もっとさかのぼって80年代にかけての頃には、「煮詰まった・煮詰まる」のように、ふさぎ込んだ状態を表す言葉として使われたこともありました。

これらの言葉は、共通する心の状態を指しているのだと思います。
一種の「ウツ」に近い状態で、精神的にある限界地点までたどり着いている状態、そしてアップアップしており、それ以上どう考えてもどうしようもなく、出口が見つからないような心の状態を表しているのではないでしょうか。

「あいつキレたな」
「俺まぢキレるから」「あんたブチキレてんじゃないよ」
「プッツンしてんじゃないの?」
「煮詰まった状態の頭で考えてもしょうがない」・・・

言葉としての表現から、状況を推測してみれば、心の中の状態が予測されます。それは、湯が煮えたぎって沸騰しているような、崖っぷちまで追い詰められていて、背水の陣にあるような、そして窮鼠猫を噛むような状態として認識されますし、恐ろしいことが起こりそうだと理解できるのです。


▼キレそうなとき、人はどうするか

これらの言葉が使われてしまったなら、人はどうするでしょうか?

何かに夢中になることで、その状態から自分を解放させるとか、お酒を飲んで発散する、気分転換に旅行などをするなど、様々な手段を講じて、自分のその苦しい状態から脱却しようと努めるに違いありません。
さらにその状態が深刻で、どうしようもないほどに悪化してしまうなら、病気になったり、精神に作用しすぎて、薬の効用にお世話にならなければならないこともあるかもしれません。

言い換えれば、究極の境地に立たされた精神は、逃避や諦め、救いや転化によって、何らかの対処をすることを、自ら選択するように脳は指令を発するのだということなのです。

人が本当に煮詰まってしまい、何かを選択しなくてはならないとか、諦めなくてはならない、抜け出さなければならないとき、藁をもつかむ思いで、神に救いを求めるのは当然の道なのかもしれません。

仏教であれば、釈迦は、事実を現実として認めさせ、諦めさせることで救いを成就させてくれるでしょう。諦念…つまり諦めることが、次の出発になるという考えです。

またキリスト教であれば、天国での復活と永遠の生命を約束するイエス・キリストにより、「求めよ、さらば与えられん」として現状を打破するべき力を、追い求めることで信仰への褒美に還元するかもしれません。

この「キレる」という精神状態に至る直前のあなたの心には、一体何が起こっているのでしょう?


▼キレる一歩手前の状態

私たちは常日頃、選択をしながら生活しています。
小さな選択から、大きな決断に至るまで二つのうち一つを、
あるいは幾つかの選択肢の中から一つを選択し、そして行動しています。
時には「選択しない」という選択もするでしょうし、2つまたは3つを
全部選択する、という選択をすることもあるでしょう。
それは個人の判断と価値観などに委ねられているので、自由ですよね。

「選択」をするとき非常に困った経験…誰でも1度や二度はあると思います。
考え、悩み、心を揺さぶられるほどに苦しみながらたった一つを選択するときの感情は、断腸の思いで決断しているはずです。

また、私たちはストレスの多い社会に生活しています。
人間関係や仕事のトラブル、時間に追われたり、仕事量に対処できなかったりと様々な原因と関わりながら、精神を休ませることなく活動し続けていることで、心は次第に疲労していきます。
心身ともに休むことすら出来ない状態が続けば、誰でも人間は正常な精神で、自らを省みることも、判断することもできないのが当たり前なのです。

他にもあげれば、もっと多くの状態があるでしょう。
これらが、キレる直前の心の状態であることは、誰もが推測できるのではないでしょうか。


▼関係の喪失

人間には二つの関係があります。
一つは、心から関わる関係です。
そしてもう一つは、どうでもいい状態で関わる関係です。
これは、マルチン・ブーバーという人の「我と汝」という著書に書かれている概念を、現代的に表現したものです。

我と汝,対話
我と汝,対話
マルティン・ブーバー, 田口 義弘


この二つの関係の中で、人間は生活しています。

例えば、ずっと仲の良かった友達、かけがえのない友達だと思っていた人が、あるときから突然急にどうでもいい人に変わってしまう瞬間があります。
また、大事に持っていたものが、時を経て見てみると、何だか無意味に思えてしまう瞬間、目標が達成できた瞬間から学校の勉強を何のためにするのかと考えてしまい、無意味に感じてしまう瞬間などのように、心から関わる関係とどうでもいい状態で関わる関係は、いつも同じではないのです。
その人の心の状態によって、日々変化し続けているのです。

突然意味あることが無意味になる。
それまで無意味だと思っていたことが、何の前触れもなく突然意味をもって現れる。

このような二つの関係の間を、私たちは生活の中で、無意識に体験しているのです。


▼キレる心

人間の二つの関係の変化と、キレる心の一歩手前の状態を説明しました。
これらのことから、読み取らなければいけない大切なことがあります。

それは、社会生活を営む人間の精神は、「常に緊張状態と隣り合わせている」ということです。

毎日が小さな選択の積み重ねでしょうし、毎日何らかのストレスに遭遇しているでしょう。
常に関係が一定ではなく、流動的なことで突然の関係の喪失で、また精神は過度に緊張を強いられる…

緊張状態の大小はあっても、そのように人の精神は、緊張状態の中を生きているのです。

キレる人が「特別」だということではないのです。

キレる状態は、決して特別に弱い人や、心に悩みや不安を抱えている人だけに起こる状態ではない、ということなのです。

誰もがキレる精神の間を、日々生き続けているということです。
この世の存在者は、現実の世界にいる限り、意味を失ったり、獲得したりしながら、永遠に保証されることのない不安定で不確かな状態の中を活動しているということなのです。

▼ほんとうの意味で「キレる」人にならないためには


では、どうしたら本当の意味でキレない人間になることが出来るのでしょうか?

目に見えるものは、全て有限です。
生きることも有限の生ですし、正義も真理も有限です。今正しいことが、明日間違っていることに変化しうるからです。

そのような有限の世界を私たちは生きているのだ、ということを認識することです。

絶対などということは、この世には存在しません。
現実にあることが全てだなどと思わないこと、今自分の目の前にある問題は、有限である毎日には、付きものであることを理解することです。

そして最も大切なことは、有限である自分の考えにとらわれることなく、永遠なる世界…つまり自分という有限の外側にある無限の世界に生きる、「永遠のわたし」を見つけることなのだと思います。

美しいもの、よいもの、目に見えないものは永遠の世界から、豊かな香りとして大切なメッセージを伝え続けています。

自分だけはキレない、などと高慢にならず、常に自分がキレるたくさんの要素の中で生きていることを自覚し、一つ一つに心から関係を持って、意味を受け取ったら忘れること。それが結果ストレスをためないことに繋がるはずです。

なぜなら人は、「絶対にキレない」人間になることは、出来ないのですから。

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HELP!キレる子どもたちの心の叫び―青木和雄のカウンセリングファイル
HELP!キレる子どもたちの心の叫び―青木和雄のカウンセリングファイル
青木 和雄
  • 2007.04.30 Monday
  • 12:04

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  • 2018.04.13 Friday
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